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ハリス理化学館同志社ギャラリーの公開について

【 10/3(火)~開催 】
【 企画展示室】8/29(火)~
【第30回企画展】
男女共学実施100年 
社史開設60年 
同志社ギャラリー開設10年
「女子学生の現在地―同志社大学のダイバーシティ前史」
 
 大正時代、内閣の諮問機関である臨時教育会議は、議題の一つに女子高等教育を取り上げ、答申を提示しました。その中で言及された、1913年(大正2)に女子学生を受け入れた東北帝国大学の事例が、女子高等教育の在り方の、ある意味でモデルとなり、方向性を示すことになりました。本学においても、1920年(大正9)の大学令に依る旧制大学開校以降、大学での女子学生受入を模索し、実践してきました。なかでも、1923年(大正12)に文学部英文学科本科(のちに正科ともいう)に女子学生4名が入学した事例は、現在国内で公表されている情報を精査する中では、私立大学では最初の事例となります。彼女たちの入学はちょうど100年前でした。
 これを機として、本企画展では旧制大学における女子学生への高等教育の開放の過程と、その前後の史実に見られる男女共学の在り方、すなわち、ダイバーシティの前史を資料で辿ります。
 



 

 

 

 

【特別展】
「日露戦争で活躍した女性看護師『出雲やすをの青春』
 
 新島襄がJ.C.ベリーの協力により京都看病婦学校を開設したのは、1886年(明治19)のことです。この京都看病婦学校では、専門職としての看病婦を養成しました。1906年(明治39)には同志社の経営を離れますが、終戦後まで学校は存続しました。
 その卒業生の一人として、1904年(明治37)に臨時卒業した出雲やすをという女性がいます。日露戦争により、東京渋谷予備病院へ従軍したやすをは、その後、日本赤十字社奉天病院に勤務、結婚して満州本渓市で暮らし、助産師としても働きました。
 この特別展では、第一部として京都看病婦学校の資料を、第二部として出雲やすをの生き方を示す資料を紹介します。京都看病婦学校の存在やその意義、そしてその看護教育が一人の女性の人生に与えた影響について考える機会となることを期待します。

 
 

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